鉄骨は、歴史の骨格となる。
国宝旧開智学校校舎の耐震補強。

一ノ瀬鐵工所は、令和5年に国宝旧開智学校校舎の耐震補強工事を担当いたしました。
松本にとってかけがえのない歴史的文化財の保全を任されたことは、当社にとって大きな誇りです。この経験を通じて、地域の下支えとして、また歴史の継承としての鉄の役割を再認識いたしました。

国宝旧開智学校と県宝司祭館

国宝松本城から北へ、徒歩で5、6分ほどのところに、松本市が誇るもう一つの国宝である旧開智学校がございます。文明開化の光を放っており、明治初期の擬洋風建築の最高傑作として、令和元年に国宝に指定されました。

明治以降の建物で国宝に指定されているのは、東京赤坂の迎賓館(東宮御所)と群馬県の富岡製糸場を含め、この3件だけです。迎賓館と製糸場が当時の国策で建てられたのに対し、開智学校は、「教育こそ国家百年の礎である」という当時の筑摩県権令(県知事)の熱意に応え、当時の松本市民の募金によって建てられたものなのです。新しい時代を築こうという市民の願いが込められています。

学校には、廃仏毀釈で取り壊された、最後の松本藩主戸田家の菩提寺である全久院の廃材も使われていました。150年の風雪に耐え、現在は耐震補強が喫緊の課題となっています。

開智学校は建物にとどまらず、さまざまな先駆的な教育に取り組んだことでも特筆すべき点があります。例えば、児童を成績順にクラス分けし、最も優秀とされる教師に最も出来の悪いとされる児童を担当させたり、林間学習と称するフィールドワークに取り組んだりしました。また、子守りで学校へ通えない児童や芸妓になる定めの子女に学びの機会を与えるなど、先進的な取り組みを行いました。

その旧開智学校の西側には、長野県で最も古い洋風建築(明治22年築)で、県宝に指定されている旧司祭館がございます。かつては松本城北側道路に面していましたが、道路の拡幅で一旦取り壊されることになりました。しかし、キッセイ薬品工業の神澤邦雄元会長の篤志によって、現地に移築されたものです。

この二つの建物の国宝指定、県宝指定には、茅野市出身の建築家である藤森照信さんが関わっていらっしゃいます。縁とは不思議なもので、藤森さんが東京大学建築学科時代に直接指導を受け、師と仰ぐのが村松貞次郎さんです。村松さんは、同じく東大教授で文化財保護委員会の建造物課長を務めた関野克さんとともに、昭和36年の旧開智学校の重要文化財指定に尽力された方なのです。両氏は、旧開智学校の現地への明治の姿での復元移転についても後押ししてくださった方で、松本市の恩人と言えます。

鉄は、縁の下の力持ちであり、モノを支え、つなぐ役割を果たしています。旧開智学校と旧司祭館も、人と人のつながりの中で現在の姿があるのです。

旧開智学校主要年表

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資格者人数
明治9年(1876)年女鳥羽川畔に竣工(現時計博の位置)
明治13年6月明治天皇来校
昭和34年8月7号台風で校舎が損壊(後の移転の引き金に)
昭和36年3月重要文化財に指定
昭和39年現在地に明治の姿で復元移転
令和元年9月明治以降の学校建築として初めて国宝指定
令和3年から6年耐震補強工事のため休館
令和6年11月~リニューアルオープン

工事概要

壁下地 タイロッド 金物

2階床水平補強 タイロッド

2階床水平補強 タイロッド

基礎 鉄筋・鉄骨

床下 鉄骨

基礎 鉄筋・鉄骨

塔屋鉄骨補強

塔屋鉄骨補強

塔屋鉄骨補強

床下梁補強+垂直タイロッド受け

床下梁補強+垂直タイロッド受け

軒裏梁補強鉄骨

塔屋補強鉄骨

塔屋補強鉄骨

屋根面ブレス補強

屋根面ブレス補強